人のふんどしで相撲を取る

私が本当は口に出して言いたいこと

子どもの未来

不登校は「あり」か「なし」か。

 

 

45歳、無職、独身。

母親と二人、母親の年金をたよりに暮らしている。

 

一日の大半を寝ているかパソコンの前で過ごし、母親からもらう小遣いでゲームを買う。母親がもし死んだら、生活保護をうけるしかないと自嘲気味に笑う。

 

これは、安易な気持ちで始めた不登校の先にある未来のリアルな姿。

 

 

ほんとうにほんとうに辛くて、苦しくて、何としてでもその環境から逃げ出さなければと必死の思いでもがき続けていたのなら、不登校の先に新しい生活、新しい人生、新しい未来を見つけることができるでしょう。

 

 

でも、「理由はわからないけど(本当はわかっている)」「なんとなく(ただ面倒くさい)」「とりあえず今だけ」と、安易な気持ちでずるずると休み続けた先に、未来はありません。

 

一日休んだら、次の日も行きたくなくなる。それを安易に許す親。二日休めば、三日目はもっと行きたくない。

一週間休めば、次の週はもっと辛くなる。好きなだけ休んでいいよと、親が言う。二週間休めば、一ヶ月たつのはあっという間。一ヶ月休めば、授業にはもうついていけない。学校にはもう行けるはずもない。

二ヶ月休めば、一学期過ぎるのはあっという間。そして半年すぎ、またたく間に一年が過ぎる。

 

その頃には、たくさんの経験を積み、新たな知識を蓄えたクラスメイト達がまぶしいほどに成長を遂げている姿を、あなたはもう直視できません。

 

妬み、嫉妬。かつての友達に対するあなたの気持ち。

同情ではなく、哀れみ。あなたに対する、かつてのクラスメイトたちの気持ち。

 

 

あの頃、学校に行けなくなった、教室に入れなくなったあなたに、クラスメイトは優しい言葉をかけてくれました。保健室で愚痴をこぼしているあなたの様子を気遣って、休み時間に会いにきてくれました。

何ヶ月も教室に姿を現さないあなたのために、あなたの席を用意して、先生とクラスメイトたちがずっと待っていてくれました。

 

やがて一年たち、二年たち、あなたがようやく重い腰を持ち上げたとき、教室にあなたの席はもうありません。

あなたを気遣い、様子を見にきてくれていたクラスメイトたちは、もう学校にはいません。みんな、それぞれの未来に巣立っていってしまったからです。

 

ひとり取り残されたあなたが、たったひとり新たな人生を築いていくその道のりは、険しく、厳しく、世間の風は驚くほど冷たいでしょう。あなたと共に歩む仲間はひとりもいません。

 

あのとき、二日目に、三日目に、一週間たったあの日、思い切って、辛くても、泣きそうでも、吐きそうでも、苦しみを乗り越えて教室に戻っていたなら。

今自分が直面している孤独、未来への不安、恐怖に比べたら、それはどんなにたやすいことだったでしょう。

 

 

もしあなたが、学校へ行く、教室に入るという、たったひとつの努力を成し遂げたら、学校や先生たち、クラスメイトたちがあなたを全力でサポートしてくれるでしょう。

 

最初の日は、トイレで吐いてしまうかもしれません。教室で、顔を上げることもできず、ぶるぶる震えてしまうかもしれません。

朝教室に入ったとたんに、逃げ出してしまうかもしれません。過呼吸に襲われて、涙が出るほど苦しい思いをするかもしれません。もしかしたら、誰かがくすくす笑うかもしれません。

 

でもあなたが頑張り続けるかぎり、誰かが絶対に、あなたを助けてくれる。これは、100%保証する。

 

 

でも、学校へ行かないという安易な選択、朝起きないという楽な選択、試験を受けない、面倒な授業を受けない、面倒な人間関係から逃げる、きちんと意見を述べることから逃げる、嫌な思いはしたくない、誰かと比べられたくない、試験の結果が悪くて情けない思いをしたくない、レギュラーに選ばれなくてみじめな思いをしたくない、自分よりも恵まれた人とは一緒にいたくない、自分よりもできのいい人とは一緒にいたくない、厳しいことを言われなくない、宿題もやりたくない、でもそれで悪い評価をもらいたくない、受験に失敗して恥をかきたくない、仲間外れにされたくない、でも面倒な思いまでして友達を探したくない、誰かに合わせて気を遣うのはまっぴら、誰かが褒められるのを見たくない、頑張っただれかが評価されるのを見たくないという選択をしたとしたら、誰もあなたを助けることはできません。

 

学校へ行くのは自分。背中を押すのはあなたの親。

 

 

あなたには、一体、どんな未来が待っているのでしょう?