人のふんどしで相撲を取る

私が本当は口に出して言いたいこと

言い方というものがある

 

前回の記事の、反対側。

温厚な教師を怒らせて、彼の本質をむき出しにしてしまった学生の話の続きです。

 

それは、教師としてはあるまじき行為ではありますが、一人の人間として、怒りという感情を持つのは当然のこと。教師だから、生徒のどんな発言も大目に見なければならないのか?生徒のどんなイカレタ発言にも真摯に耳を傾けなければならないのか?

ということです。

 

「お客さまは神さまです」という精神に勝手な解釈を加え、勘違いしきった人たちが、サービス業に従事する人たちに対して傍若無人な振る舞いを、時に暴力、脅し、恐喝まがいのことさえしていますよね。そう、まさに、

 

『勘違い』

 

話を元に戻すと、例の学生の言い分はもっともだったかもしれませんが、相手が教師だからといって何でも言っていいわけではなかったし、それに相応しい言い方というものがあった。

 

「あんた大人だろ、教師だろ」という、何かを勘違いした偉そうな学生が、言いたいことを言いまくった結果、教師がさすがに我慢の限界を超えた。

相手の欠点を指摘するときには、十分に相手の気持ちを考えて、言い方に注意して、これを言ったら相手はどう感じるだろうかという配慮の元に伝えるべきだった。

 

口に出して意見を言うことは素晴らしいが、何でも言っていいわけじゃない。言い方というものがある。

 

「だって、誰もなにも言わないじゃん!」

と、その学生は言うのです。

 

そう、言わないんです。言いたいことがあっても、誰もが思っていることを全部口に出して言っているわけではない。

 

言っていいことかどうか、言うべきことかどうか、言われた相手がどう感じるだろうかということを常に考えながら、人は意見を口にしているのです。

 

「わかんないよ、そんなの。じゃあ、何を言えばいいの?」

 

そう、みんなわからない。何を言ってよくて、何を言っていけないのか、誰も正解なんてわからない。その時々で違うから。たとえ同じ相手でも、時と場所、状況、お互いの関係性、あらゆることがいつでも何もかも全て違う。

だから、試行錯誤。

 

たくさんのコミュニケーションの経験を重ねることで、少しずつ、少しずつ、いろいろなバランスが理解できるようになります。できればいろんなバックグラウンドを持つ人と、始めて話す人と、気が合わなさそうな人とも、年上の人、年下の人。

 

ただし、100年かけてコミュニケーションを学んでも 100%の正解は得られるわけではありません。得られるのは、より better な方法。

 

best を目指すのではなく、常に better を目指すということは、あらゆる場面においてとても大切なこと。

 

 better なコミュニケーションを目指そう!そうすることで、勘違いしてしまう危険がより小さくなるはずです。